ジョジョの奇妙な死亡
日本語学者、金田一秀穂さん(右)
4月1日、新元号「令和」が発表されると、すぐにテレビに金田一秀穂さんが出てきて、持ち前の人柄のよさで「令和」を一生懸命よいしょしていた。
金田一さんによると、「令和の『令』というのは古い意味では神様のお告げという意味。そして『皆が仲良く』ということなんだろうと思います。いい言葉なのではないでしょうか。いま調べたら令月というのはおめでたい月だと。全ての物事を行うのによい月だと。だから始まりのとってもいい月なんだよということですね。神様に代わって自分たちが命令、法令を下すということですね。だから、いい月、とてもおめでたいのです。風が穏やかで和やかであると。とても季節感あふれる言葉とでも言えばいいでしょうか。」
金田一秀穂さんは祖父の金田一京助、父の金田一春彦という二大学者の七光りで学者になれたと言われるが、文筆界や芸能界はそうそう甘いところではないので、視聴率が取れなければすぐに消えてしまうものだ。彼がずっと出ているのは彼の人柄のよさが人を惹きつけるからだと思う。
しかし新元号「令和」については、
金田一先生、それ、本当にそうですか?(笑)
たしかに新元号を「万葉集」から採ったこと、また「和」という語を持ってきたことはじつに素晴らしいと思う。
万葉集は、この日本列島で2万年にわたって平和で愛に溢れた文化を築いてきた縄文日本人から生まれた歌と、2300年前にやって来て日本を侵略した天皇家や秦氏などの弥生人の歌との、両方がコラボして掲載されている。世界でも稀な偉大な歌集である。
そして縄文日本人の精神こそは「和」の精神である。山口大学と岡山大学の研究によると、縄文日本人の暴力による死亡率はわずか1%代。海外の諸民族はいずれも10%を超えているので、縄文日本人は世界で稀にみる平和な民族であった。縄文日本人は「和」を好み、互いに争わず、互いに助け合って2万年にわたる平和な社会を築いてきたのだ。
じつに新元号を「万葉集」から採ったこと、そして「和」という語を持ってきたことは本当に素晴らしいのだ。
しかし「令」のほうはどうだろうか。
たしかに「令」というのはもともと「神様のお告げ」という意味で、だからもともとは「ありがたい」言葉であった。だから何を行うにも「おめでたい」「よい」言葉であった。
しかし、2300年前、天皇家などの弥生人が侵入してきて、「自分たちは神の子孫だ」と嘘をついて、神様に代わって縄文日本人に命令し、法令を下すようになった。すなわち侵略者が縄文日本人に「令」を下すようになったのである。
こうなると、「令」はそれまでと同様にありがたくおめでたい言葉だろうか?
その「万葉集」の第1巻の巻頭には支配者である雄略天皇の傲慢なナンパの歌が載っている。
万葉集の雄略天皇の歌:
(ある天気のいい日に雄略天皇が丘の菜畠を通りかかると、美しい娘が籠を持って菜を積んでいた。それでさっそく天皇は声をかけてナンパにかかった。)
「籠を持って菜を摘む乙女よ きみはどこの家の娘なの? 名はなんと言うの? 黙っていたらわからないじゃないか。それじゃあ僕のほうから名乗ってやる。家柄と名前を聞いて驚くなよ。この大和の国は全部僕が支配しているんだぞ。」
なんという傲慢でアホな歌か。
他にも雄略天皇の歌はいくつか残っている。
たとえば古事記下巻に載っている雄略天皇の歌:
(雄略天皇が吉野に行幸したとき、吉野川のほとりで美しい少女を見つけたので、さっそく捕らえて性交した。後年、再び吉野に行幸したら、同じ場所でその少女に再会した。それで天皇は床几に坐って琴を弾き、少女に舞を舞わせた。そのときに詠んだ歌。)
「あぐらをかいて座っている神(自分のこと)の御手で琴を弾く。それに合わせて舞う女よ、いつかまた僕が来るときのために、いつまでも若く美しくいてほしいよ。」
なんという自分勝手なヤツか。
同じく古事記下巻の雄略天皇の歌第二弾:
(雄略天皇が、年配だが美しい女性を見つけて詠んだ歌)
「引田の地に、若い栗林があるだろ。あれみたいに、お前が若い時に一緒に寝たかったのに、お前は年老いてしまったなあ。ああ・・・」
お前は猿か。
同じく古事記下巻第三弾:
(雄略天皇が日下部の姫を娶ろうとして河内に行幸したが、姫から使いが来て、恐れ多いですから、姫の方から宮へ参りましょうと言うので、天皇は宮へ戻ることにした。その時に天皇が詠んだ歌。)
「日下部の山と平群の山にはぎっしりと竹が生えているなあ。ああ、姫のところで共寝することができなかったなあ。でも後でしっぽり寝ようよ、僕の恋しい姫よ、ああ・・・。」
もうあきれて言葉がない。
同じく古事記下巻第四弾:
(雄略天皇が春日の姫を娶ろうとして春日に行幸したとき、途中の道で美しい乙女に遇った。しかし乙女は逃げて丘のどこかの穴に隠れてしまった。そこで天皇が詠んだ歌。)
「鉄の鋤(
スキ)がいっぱいあればなあ。あの乙女が隠れている丘を家来たちに片っ端から掘らせて、土を全部はじき飛ばしてやるのに、ああ・・・。」
同じく古事記下巻第五弾:
(雄略天皇が秋津野に行幸して狩をしていた時、床几に座っていると虻に腕を食われた。そこで詠んだ歌。)
「吉野の岳に猪鹿がいると、誰かが大王様(自分のこと)の大前で申し上げた。そこで僕は狩にお出かけになり、獲物が現れるのを待とうと呉座にお座りになったが、すると僕のしろたえの袖の御腕に虻が食いついた。あっと思うとトンボがさっと飛んできて、その虻を食って飛び去った。見てみろ。トンボでさえ僕のために功名を立てようするのだ。そうだ、大和の国をトンボ島と呼ぼう。」
(一部意訳あり(笑))
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういう傲慢でアホで猿みたいな男が権力を握って平和な縄文日本人を支配してきたのだ。
そのせいで縄文日本人はあれほど平和だったのに、天皇家などの弥生人によって侵略されて弥生日本人へと変貌すると、日本でも暴力や強姦が横行するようになった。
先の山口大学と岡山大学の研究によると、縄文日本人は暴力による死亡率が1%代で極めて低かったが、弥生日本人になると暴力による死亡率が海外同様に10%を超えてしまったのである。
ネットに「令和」についてこんな言葉が載っていた。
「命令や法令を下すのは政府や団体、企業、組織だ。神様に代わって彼らが命令・法令を下すのだから、「令和」とは、その命令・法令がどんなに横暴で不公平で無理強いをするものであろうとも、お前たちは和を乱さず、和を保って働けと命じる、という事ですね。」・・・と。
こうしてわれわれ日本人は、傲慢な猿のような天皇などの支配者たちによって、その命令は神様の命令としてありがたく承れと強要された。
古代においても男は防人や兵隊に召集され、女は天皇などに強姦され、過酷な年貢を取り立てられ、以来、20世紀に至っても召集令状の赤紙が来れば、心で泣いても「ありがとうございます。名誉なことです。」と言って出征していった。周りの人たちも心で泣いても「おめでとうございます。」と言って万歳三唱して送り出したのである。
「令和」とは、神様から告げられるのであればありがたく素晴らしいが、人間の支配者から発せられる以上、文字通り「和を命じる」という意味にしかならない。
本当の「和」とは、外から命令されて実現するものではない。外からくるのではダメなのだ。
愛が各人の心の奥から生じるように、「和」もまた各々の人々の心の奥から生じて湧き上がるものであり、こうした人と人とが寄り集まるから真の平和になるのはないか。
神様は人間をそのように創造したのだ。
だから日本人は先の東日本大震災にあっても、家族を失い、家を失い、全てを失った絶望と悲嘆の極限のなかでも、誰かから命令されたわけでもなく、支配者がいたわけでもなく、ひとりひとりがみな自主的に主体的に、克己心を持って、決して暴動を起こさず、暴力も振るわず、互いに労わり合い、励まし合い、助け合って「和」を実現したのだ。
世界中のマスコミがこの日本人の「和」の姿に、「外国ではありえないこと」と言って驚嘆したのだ。
じつはこれは100年前の関東大震災のときも同じだったのであり、同じように世界のマスコミが驚嘆したのである。
そう、縄文日本人のたぐい稀な「和」の精神はわれわれ現代日本人の魂に脈々と生きているのである。
ルック・イーストという言葉は、マレーシアのマハティール首相が1981年に提唱した言葉だが、日本人の倫理観、忠誠心、労働規律、労使間の協調、すなわち日本人の「和」の精神に学ぼうとする思想である。
このルック・イーストの思想は、1990年以降にその日本経済が大低迷時代に突入しても、変わることはなく、現在に足るまでマレーシアをはじめとする世界の人々のこころに息づいている。2014年にはインドのナレンドラ・モディ首相が「ルック・イーストの中心に日本がある」と述べている。
いま世界から期待されている日本人の「和」の精神は、2万年にわたる縄文の精神に他ならない。それは、自主的、主体的に各々の魂から生じ、自然に周囲と協調し、平和を好み、忠誠心を持ち、自然とも調和して生きてきた精神である。
われわれ日本人は、われわれの魂の奥から生じ、ほとばしる、自主的、主体的な「和」の精神を自覚したうえで、この「令和」という元号を受け入れるべきではないだろうか。
死亡 甲子園に、恋をした
過去に両親から虐待され、児相と関わった2人の話です。
児童相談所の職員さんの温度差とても感じる内容です。どうして助けられないの?命にかかわらないと助けられないの?と記事を読んでいて思いました。
モヤモヤする記事ですが読んでみてください。
以下、記事を添付します。
虐待サバイバーが語る「児童相談所は私を助けてくれなかった」
今年1月24日、千葉県野田市の小学4年、栗原心愛さん(10)が自宅で死亡した。父親の勇一郎容疑者(41)と母親のなぎさ容疑者(32)が傷害容疑で逮捕された。この事件では、柏児童相談所の不適切な対応が問題となっている。
柏児相は心愛さんを一時保護していたが、一時保護を解除して預けていた親族宅から自宅に戻すかどうか判断する際、父親から「お父さんに叩かれたのは嘘」などと書かれた手紙を見せられた。しかし真偽については十分に確かめず、自宅に戻した。市が合同委員会を設置。再発防止策を検討することになっている。
児相のあり方が問われる中、過去に両親から虐待され、児相と関わった2人に話を聞くことができた。
今年2月某日、明穂(27、仮名)から無料通信アプリLINEのメッセージが届いた。
「死にたいと思って、気がついたら更地にいた。震災前、ここには児童相談所があった。死ぬならここにしようと決めている」
東日本大震災9年目の取材で筆者は被災地にいた。そのことをツイッターで知ったという。さっそく連絡を取り、会うことにした。明穂の自宅は津波被災をしたため、一旦、仮設住宅に住んだ。現在、実家は建て替えた。
明穂はよく父親からこう言われて、体罰を受けながら育った。
“なぜ叩かれたのか。理由を探しなさい”
例えば、幼いころは親戚に挨拶をするタイミングが遅いという理由だったり、小学生のときは成績が理由だったりした。100点以外は許さないが、100点を取っても、「こんな簡単なテストで喜ぶな」と言われた。そのためか、小1の頃から自殺を考えていたという。
「1年のころは飛び降りれば死ねると思って、自宅の2階から飛び降りたことがあった。2年のときからはリストカットをしたり、頭をぶつけるようになった」
勉強するモチベーションが上がらず、5年の頃には100点を取れなくなっていた。
「友達を家に呼ぶと、父は『君はどこの大学に行くの?』と聞き、答えられないと家にあげなかった。次第に友達が来なくなった。でも、授業参観にも父親がくるので、熱心に思われていた」
母親も明穂を虐待した。「もっと叩いて育てればよかった」と言っていたほどだ。晩ご飯前後には、外に締め出されたことも多かった。近所の人に見られない時間帯でもあった。小3からは「死にたい」と強く思う。父親から性的虐待を受けるようになった時期だ。
「週末に、中2までされていた」
中学では、学校の先生に家のことを話すようになった。
「性的虐待のことは、されなくなってからも、すぐには話す気になれなかった」
中3のとき、明穂は自分から児童相談所へ行き、家で虐待されたと訴えた。一旦は「保護する」という話になったが、連絡が行った母親の反対で、実現しなかった。当時は、親権が強かった。
「児相に夢と希望を持ちすぎた。何かが変わるという期待があった。児相が介入してくれると思ったのに、それ以上のことはしない。骨折でもしないといけないのか。このとき母親も性的虐待のことを知ったけれど、家に帰ると、ケーキが用意され、なかったことにされた」
明穂はずっと親に殺されると思ってきた。震災の時は無職でも避難所などで役に立ったことから、「無職を責められず、よかった」と振り返る。家族との関係は変化しないが、両親は年をとったこともあり、暴力は受けていない。そして、無職ながらも一人暮らしをしている。
「今も死にたいと思っている。高校生までは早く死にたいと思っていた。なぜなら若いうちはニュースに取り上げられるはず。しかし、そのタイミングを逃した。一回しか死ねないので、ここぞという時に死にたい。(家の)系譜を断ちたい」
那美(20、仮名)は16歳のとき、池袋駅北口で警察に補導された。30代の男性とラブホテルから出たところだった。
「警察官とラブホテルで現場検証をした。生々しい感じで、『こんなことをしたのか?』とか『相手は全部吐いたよ』とか言われたりして、私は『たぶん、そうだと思います』と受け答えした。何をしたのかをしゃべらせようとしていた」
東京都青少年健全育成条例(淫行)違反事件となった。那美は援助交際もしていたが、このときは、金銭のやりとりはなかった。いわゆる素行が悪いとされたため、神奈川県内の児童相談所に送致され、児童福祉司と話すことになる。
「めちゃ、性格が悪い人だった。“そんなこと(援助交際等)をした人はゴミ”と言うように、冷たい人だったので、2、3回行って、ばっくれようと思った」
2回目は性格検査をした。臨床心理士が対応した。
「優しい人だった。話しやすかったし。そのため、最初の担当には『あんたとは話したくない』『心理士となら喋っていい』と言った」
カウンセリングされるようになると、自分の家族のことも話した。
「母はマンションを買うために借金をした。そのことをきっかけに父親は私にも暴力をふるうようになった。離婚して母親と暮らしたが、おじいちゃん、おばあちゃんから掃除機の尖った部分で殴られたりした。自分の殻に
じこもる性格で、読書で集中していると、返事をしないからでしょうね」
中学の頃は、母親の彼氏と一緒に住むこともあったが、その男から暴力を受けた。その後、父親と暮らすようになるが、父親からも暴力を受ける。自傷行為を繰り返すようになり、何度か病院に入院するが、PTSDの診断を受けた。
「母親と暮らしたときは明確な虐待だと思う。でも、どこからが虐待なのかわからない。例えば、高校生のときは父親と暮らすが、手をあげられたり、物を壊されたり、部屋のものがなくなっていた。作った食べ物は捨てられ、皿ごと捨てられていたこともある」
殴られたりすると、泣き叫ぶ子もいるだろうが、那美は殴られてもフリーズし、泣かなかった。
「だから近所の人にもわからないし、父親は外面がいいので、発覚しない。心理士の人からは『家を出た方がいい』と言われたが、児相は初めてだったし、万引きもタバコもしてないので、非行だと思っていない。保護されるレベルでもない」
児相は虐待自体には介入しなかった。高校卒業後、就職した那美。会社の寮で暮らしているため、しばらく父親とは会ってない。ただ、成人式を迎えたために手紙とお金が送られてきた。
「どうしたらいいのかわからないので、(お金は)使ってない」
心愛ちゃんの事件について、那美はニュースを見聞きするのを避けていたという。
「ニュースは見ないようにしていた。虐待のニュースは自分の心が死んじゃうので……」
ヤフーニュースより
ピカピカスピカ死亡
HELP求めといて、音信普通になったりするんじゃねぇよ。
氏んでしまえばいいのに。( ゚д゚) 、ペッ
そんなときは
コレだな。
みなさ~~ん。
バッくれて、電話でなきゃいいや、何なら番号かえりゃいいやとか思ってるそこのお馬鹿サン共。
あ、ちなみに音信普通のお前。
明後日ご自宅訪問します。交通費も請求するよ?
それとうちの香港の投資案件の資料改ざんして悪さしてる、お前。何勝手なことやってくれてんだ?
公開処刑状です。
イヤなら明日の昼までに電話してこい。ま、もう遅いけどね。
『予算が合いません』とかひとつの返信するのが礼儀では?
こちとら、長文メール読んであげたり、色々策練ってあげたりしてるわけで、
『なんとか助けてもらえませんか?』
『他に頼れるところがないんです!』
とか言ってたくせに、
条件提示すると音信不通。
(゚-゚)シネバ?
人としてのルール、守りやがれ( ゚д゚) 、ペッ
さて。
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