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みなさんこんにちは。
せっかく作ったキャラクターの顔が全て弁当の蓋の裏にくっついて、何もなかった事になってしまったことがあるザ・
ギース尾関です。
今日も死にそうな暑さですね。わたしの住む地方では今日でお弁当が終わりなので、少しほっとしています。しかしこれからいよいよ夏休み。子供たちも大人も熱中症に気をつけたいものです。 ね。
さて、幼稚園の娘にお弁当を作ってしばらくたった頃、娘からこんな要望がありました。
わたしのかいた絵をおべんとうにして!
衝撃をうけました。そんな発想は一切なかったですし、そもそもそんなことができるのか!?と戸惑ったりもしました。
しかし娘が描いてきた絵をみると、これならいけるかもという感じの絵だったので、さっそく作ってみることに。初回のブログでも載せたのですが「カエルと女の子」の絵をお弁当にしてみました。これに娘は大喜び。そしてすぐに新たな絵を提出してきました。それがこちら。
なかなかパンチの効いた牛です。なによりも牛の足の数です。こんなファンキーな牛をお弁当にするのか・・・。しかし、指令を受けた以上作らねばいけない!というわけで作ったお弁当がこちら。
なかなかうまくできたのでは!?という、ファンキー牛弁当が完成しました。
しかし、改めて落ち着いてみると万が一これを幼稚園の先生がみたら!?という心配も湧き上がってきました。
先生は娘の絵をもとに作っているなど知る由もありません。牛の足を10本描く親は幼稚園の先生からしたら恐怖しかないことでしょう。今後面談とかであった時、一定の距離を置かれることは間違いありません。(物理的にも精神的にも)
しかし、仕方ありません。先生や周りのお友達に見られないことを願うしかありませんでした。
結局このお弁当が見られているのか否かは未だに不明ですが、幼稚園で挨拶をすると若干の距離を感じるので見ているのかもしれません。
今後もいろいろと娘が発注の絵を描いてくれそうなので、この親子合作弁当が楽しみでもあります。
娘よ、あまり超絶に絵が上手くなったりしないでね。お弁当の方が追いつけなくなるから!
ギー超好き!
よく考えたら、息子って東京生まれ(厳密には北の国生まれだけど)東京育ち、悪そうなやつはだいたい友達。じゃないか
してぃーぼーい、なのね
そんな、してぃーぼーい、な息子氏が表参道デビューしました
職場が渋谷だった頃はよく来てたなぁ
お上りさんなんで、表参道とか来ちゃうんですよ
ばぁばが、東京に用事があったので表参道でランチ
(北の国から新幹線できたらしい)
ランチは、
クレヨンハウス 表参道 てところに行きました。
このクレヨンハウスてところ、私が小さい頃にもあったみたいです。小さい頃、関西に住んでたのでそこの店舗によく言ってたと母が言ってました。
本屋とおもちゃ屋が併設されてて、子連れ様に大人気
11時半に入店しましたが、すでにほぼ満席
運良く小上がりの掘りごたつの席に座れました。
息子が歩けるようになったので、掘りごたつの下に放牧
でも頭打ったりするので、結局テーブルの周りをぐるぐる
小上がりがあってよかった
テーブル席だったら10分もたないな、、、、
これはテラス席のところです
ちなみに、このお店のランチの味は、、、うん。普通(笑)1500円の価値は、、、オーガニックだからあるのかな。
私が作ったごはんみたいなレベルの味でした、、
か、体に優しいんでしょうね。
マゴハヤサシイ 的なランチでした。
そして、施設自体も古いのか、表参道のカフェとかのオッサレーな感じではないです。(失礼)学食みたいな店内でした。
小洒落た店に行きたがる母ががっかりしていたので、表参道ヒルズの ジャンポール エヴァン でお茶しました。
→こんな感じのケーキ食べたんですが、美味しかったです
店内が片側がソファーになってて、息子を少し解放できたので、ゆっくりできました。
お値段も表参道ヒルズだからビビってたのにケーキとコーヒーで1500円ぐらいでした。いや、高いんですけど、キルフェボンのがよっぽど高い
子連れにも嫌な顔せず、段差の少ないドアを開けてくれたり、穴場でした
そのあとはキッズの森にいったりして15時に解散。ばぁばは北の国に帰って行きました。
そうそう、この日、うーん、と思ったことがありまして
行きの電車の中で隣がベビーカーの赤ちゃん連れでした。
その方も表参道駅でおりたんですが、ベビーカーでホームを小走り。しかも混んでるのに小走りするから、実質、ベビーカーで人を押しのけてる感じ。
人がすごいからあまり進めておらず、後からノロノロきた私にエレベーターのところで追いつかれてたのですが、そのお母さん、横をチラッと見てまさかのエスカレーターにベビーカーのまま乗ったんです。
しかもね、ダメですけど、例えば1、2歳ぐらいで、子供も大きかったら、、、(ダメですけどね)まさかのその赤ちゃん、多分半年も経ってないんじゃないかな、ていうベビちゃん。
お母さん、もっと丁寧に扱いましょ
そ、そんなに急いで、、、ど、どこに、、、まーいろんな事情があるから、親族の誰かが危篤とか(考えが不謹慎)、はたまた遅れると保育園に入れないとか(なんなん、その制度)
違いました、私と同じく クレヨンハウスにランチしにきてました
(ランチかよー)
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7人ぐらいの大所帯で集まってました。
あんなに走る意味あった?子供を危険に晒してまで?
て思ったんですが、たしかに、クレヨンハウスて、
もう1人は後から来ます〜 で入店出来ず、全員が揃わないとダメなんです。
それで急いでたのかな。
ここは、子連れに優しいレストランなので、
ギーギー騒いでも平気なんですが、その7人グループは、
お母さんたちがうるさかった、、、、
若い人ならまだしも、あからさまに私と同じぐらいのアラサー組。
久々に集まったのかなんなのか知らないけど、おいおいて思うレベル。
えぇー!!
うそでしょー!!ありえなーい!!とか大声で(笑)
なんか、なんか、なんか!!
こーいう人たちがいるから、ママの肩身が狭くなるじゃないかよー
て思ってしまいました。
私もね、地元で集まったら、友達と爆笑することはありますよ。でも、もう大人ですから、周りの人が見ちゃうぐらい騒ぐなんてことはしません。
ホームの小走り、エスカレーターのベビーカー乗車、店内大声、、、、
人のふりみて〜じゃないですけど、大人としてちゃんとしようて思いました
しかし、平日のこっそりランチ、楽しい
ハマりそうです(笑)
彼女のために始められることは何一つ上手くいかない。ー
この女性は、1542年に生まれ、生後すぐにスコットランド女王、わずか5歳でフランスへ渡り、フランス王妃となり、18歳で再びスコットランド女王となった悲劇の王妃、メアリー・スチュアート。
しかしメアリーは悲劇の女王として名を残します。
美貌に恵まれ、これほどよい条件を持って生まれた女王がどうして哀れな末路を辿ることになってしまったのでしょうか?
メアリー・スチュアートは、スコットランド国王の一人娘でエリザベス女王と親戚関係でメアリーの産んだジェームズは、次のイギリス国王となりました。
1524年12月8日、リンスゴー城でジェームズ5世の第3子として生まれたメアリー・スチュアート。
12月14日に父ジェームズ5世が30歳の若さで急死すると、長男と次男が早世していたため、わずか生後6日でスコットランド女王として即位した。
メアリーは5歳でフランスに渡りフランス王太子妃に決定し、華やかなフランス宮廷で大切に育てられ、やがて
『
フランスの白百合』とたとえられるほどの美少女に成長しました
。
(フランス時代のメアリー・スチュアート)
メアリーは16歳でフランス王妃に即位。
メアリーはスコットランド女王にしてフランス王妃になったのだ。いよいよ誇り高さに磨きがかかった。
しかしフランス王妃になってすぐ夫が死亡
わずか18歳の若さでメアリーは未亡人になってしまいます。
しかも子供がいなかったので実家スコットランドに帰らなければいけませんでした。
当時のスコットランドは華やかなフランスとは反対に貧しい、ヨーロッパの最底辺国と呼ばれていました
(18歳で未亡人。フランスからスコットランドへ帰国するメアリー)
メアリーは恋多き女王でしたが、あり得ないほど男運に恵まれない。
スコットランドに着いて数年後、メアリーは4歳年下の優男ダーンリ卿ヘンリーと反対を押し切って結婚し、後のイギリス国王ジェームズ一世が産まれます。
(年下のダーンリ卿はわずか19歳。メアリーとの結婚生活はすぐに破綻しました)
結婚後のダーンリ卿は甘やかされて育ったただのエゴイストで野心家で自分がメアリーを差し置いてスコットランド国王になろうとする野心家でもあったことがわかった。
さらにダーンリ卿は美しい女性に目がなく浮気を始めた。
しかしわがままなダーンリ卿に愛想がつきたメアリーは、愛人で軍人のボスウェル伯と組んで夫をなんと爆殺します。
あろうことかメアリーは前夫が死んですぐ、ボスウェル伯とまたまた大反対を押し切って結婚します。
ボスウェル伯はダーンリ卿とは違い野生的で行動的。男性的な魅力がある経験豊富な軍人でした。
メアリーはダーンリ卿が死去した後だというのに、
「ボスウェルと離れるくらいなら、フランスやイングランド、それにスコットランドを失ってもかまいません。
ボスウェルと引き離されるくらいなら、そまつなペチコート1枚となって、この世界の果てまで行った方がましです!」
と語ったほどボスウェル伯にメアリーはメロメロだった
(メアリーの愛人 ボスウェル伯ジェームズ。メアリー24歳。ボスウェル伯30歳の時に出会いました。)
夫を爆殺した後すぐボスウェル伯と結婚したメアリーは、どう考えても政治的センスが絶望的にありません
メアリーの実家、ギーズ家がわざとメアリーに帝王学を学ばせなかったという説があります。
当然クーデターがおき、メアリーははたまたなぜかイングランドに逃げ、ボスウェル伯はのちに発狂し、獄死。
メアリーはエリザベス女王の統治するイングランドに逃げるという致命的なミスをしてしまいます。
(はメアリーを何かと敵視していました。しかし二人は直接会うことはなかったといいます)
メアリーは短期間とはいえ、フランス育ちで元フランス王妃、5歳から18歳まで住んでいたフランスに逃げることも、同じカトリックの国スペインに逃げるという手もありました
(スペイン王妃エリザベート・ド・ヴァロア。メアリーとフランス宮廷で一緒に育ち、メアリーと同じ部屋で育ったとされる)
スペイン王妃である
エリザベートとメアリーは一緒にフランス宮廷で育ち、大変仲が良かったので頼ることもできたのです
それなのにメアリーは情勢も不安定なイングランドへの亡命を決意。
結果、囚われの身になり、斬首されるのですから、苦労人エリザベスなら絶対におかさない致命的な選択。
メアリーにはまともな家臣が一人もいなかったのでしょうか
イングランドに逃げたメアリーは、エリザベス女王にとって帝位を脅かす危険のある邪魔な存在でもありました。
メアリーはイングランド王位継承権を持っていたのでエリザベス女王からしたら頭痛の種でしかありません。
そして哀れな女王メアリーは27歳で幽閉されます。
そしてメアリー44歳。
19年の長い長い幽閉生活の後、1587年処刑が決まりました。
(メアリーに処刑の時間を告げる使者)
フランスで育ったメアリーは自分の最期をせめて演出しようとしました。
フランス育ちのメアリーは白の女王と呼ばれたほどおしゃれでした。
(処刑上に向かうメアリー・スチュアート。黒いマントの下には、、)
エリザベス女王の服装は真珠やらダイヤやをこれでもかとつけ、高価そうですが、満艦飾でセンスがいいとは言えないような派手で目が痛くなっちゃうようなドレス。
反対にメアリーの好みはひたすらシンプル。しかし贅沢な生地を使い、身につける宝石は真珠かルビーのみ。
処刑場であるファザリンゲイ城に現れたメアリーは、白く透き通った長黒い美しいヴェール、貂の縁取りをした黒い絹のマント、首には金の十字架、そして首を切るときにつける目隠しにも金の総飾りをつけていた。
19年の幽閉生活でリューマチを患い足が不自由にはなっていたが、芸術的なまでの死装束はかつての堂々たる女王を彷彿させる。
エリザベスに本当のセンス、エレガンスとは何なのか、見せてやろうと対抗し処刑の日、メアリーは黒いマントをはおり、黒ずくめで処刑場に現れました。
そしていざ処刑となったところでメアリーは黒いマントを脱ぎ捨てました。
黒いマントの下はなんと深紅の優雅なドレス!
この黒から赤への劇的な色彩効果は処刑を見にきた人に衝撃を与えました。
さらにメアリーは侍女に同じ赤色の長手袋をさせた。
殉教者の色である赤いドレスを纏ったメアリーは、首切り処刑人によって処刑されました。
処刑前の演説でメアリーはこう叫びました。
「我が終わりに我が始めあり。」と。
その予言通りメアリーの死後、子のいないエリザベス一世はメアリーの息子ジェームスを国王に指名しました。
(メアリーのデスマスク。あまりに愛らしいため後世の創作説も。。)
ドラマ『REIGN』はメアリー・スチュアートを主人公にした歴史ドラマ。あまり史実通りではありませんが、日本の漫画を意識した作品で衣装も見所です。