結局最後に笑うのはマジックだろう
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いや、最初に彼女の存在を知ったときは応援する気だったのだ。テン様の傍らに立つ女王になりそうだと思って。
しかし、その後、好みじゃないと思うようになった。
あの細すぎる脚が、ちょっと拒食症気味に感じられたのが大きい。いや、本人がそうかどうかは知らない。ただ、どこか病んでいるような、技術を見せようとしているけれど感情が乗ってないような、自分自身を見せることに迷いがあるような、すっきりしない感があったのだ。
昨季の平昌五輪ではカザフの女子選手がもう一人出場していて、これがなかなかの美人で、こちらの方が魅力的かな、とか正直思ったりして(もっとも順位は最下位)。
「テン様、両手に花だな」とか能天気なことも思った。ええええ、テン様がそのうち、彼女たちを自分のアイスショーに招くことを夢想していたのだ。「そのうち」が来ないなんて思ってなかったよ。あ、話がずれたけど…。
しかし。
今季、気分がころっと変わった。単純に演技が好みになっていたのである。
私、ロシアのエテリコーチもあまり好きじゃなかった。しかしトゥルシンバエワ選手の演技を観て「エテリさん、さすが」と思ってしまった。
なんというか、今季のトゥルシンバエワ選手の演技は、昨季までのはっきりしない印象から抜け出て、伝えたいものがすっと伝わってくるように感じられたのだ。
脚も、少しばかり筋肉の付き方が変わったのかな?細いのは相変わらずなのに、気にならなくなったのである。「私はこういう肉体であることを、自ら選んだのよ。」というような、昨年と違う覚悟というか思い切りを感じるというか。
「そういえばエテリコーチのところの女子って、私はこうだ、と見せつけるのうまいよなあ。」と思う。
氷上では女王か王女であるかのように考え、振るまえと指導をされている感じ。
「自分はやれる」と思い、堂々と迷いなく見せつけ、結果を出す。自信を持って、自分を打ち出す。
エテリコーチのところの選手は、体形変化前に成績を出すことが多い。その頃の女子選手は、積み上げた練習を自信とし、結果を出す。
しかし、体形変化というのは、その積み上げたものがある程度崩れる状態である。おそらく自分自身への信頼も揺らぐ。
そして思春期は体形だけではなく、「自我」自体が変わる。それまで親の言葉のように受け取っていたコーチの言葉にも、疑問が湧いてくるようなことも当然あるだろう。親から自立し、一人の立派な大人になるために必要不可欠な変化ではある。
しかしその精神的な変化を、エテリコーチは受け止めきれなくて、教え子はスケートをやめたりコーチ変更したりするのかな、と私は一人勝手に憶測していた。
体形変化ではなく、その時期に起こる精神の不安定さの方に対応できないコーチなのではないかと。
体形変化というのは男子選手には(あまり)関係がない。実際には変化をするけれど、男子の場合マイナスとは限らないので。つまり、体形変化が問題なら男子選手は陣営に居続けると思われるけれど、実際は思春期に陣営を離れる選手が結構いる。
精神の変化の方が影響押しているのではないか、と思っていたのだ。
だからあまり年かさの選手があの陣営にはいない。
しかしトゥルシンバエワ選手の場合、体形変化や思春期の精神の揺らぎがおさまってからエテリコーチのところに移籍したと思われる。だからひょっとすると、このまま何年も行けるかもしれない。エテリ組で、技術をもう一度磨き直されるのなら、これは面白そうだな、と思っていた。
と、いうことで今季ワールドはトゥルシンバエワ選手を応援という気分で見たのだ、最初から。
ショートの「月光」は期待通り、というかそれ以上だった。
そしてフリープログラム。
ピアソラ。
四回転サルコウを跳びながら、力強さはない。柳の枝の鞭のように、しなやかなタフさは感じるけれど。
曲に合った陰りを帯びた演技。昨季までは灰色の雲のような曇りとして感じられた彼女の雰囲気が、背中や伏せた目に漂う陰影としてくっきりと魅力的にみえるようになった。
彼女は、自分の中にあるどこか闇を感じさせるものを、自分の魅力として氷の上に広げられるようになったように私には思われた。
そして最後のステップ。笑いを浮かべているものの、どこか怖いような気がするのは、それまでの演技の雰囲気が重かったからか。
正直、魔物のセイレーンの絵を思い浮かべたりなんかして。
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いや、怖いから嫌なのではなく、魅力的だった。私は元々ステップが好きであり、異世界にぶっ飛ぶような妄想をするのを楽しむためにフィギュアを観ている人間である。
「あ、彼女、これからも見ていこう。」と思った。カザフスタンの選手だからではなく、単に魅力的な選手として。
世界選手権の表彰台に上った後二人のロシア選手と違い、彼女の顔は東洋系らしく表情が薄い顔である。華やかという感じはなく、慎ましい印象を受ける(フィギュアスケート選手の内面が慎ましいとは思わないけれど)。
ショートが「月光」だったせいもあるだろう、夜に浮かぶ月を連想したのである。
満ちては欠け、欠けては満ち、静かに空を行く。
記事のタイトルは、ハインラインのSF小説「月は無慈悲な夜の女王」から連想した。
実を言うと読んだことはない。ハヤカワSF文庫のコーナーでタイトルだけはよく見ていたけれど、読みそびれている本である。で、自分の記事のタイトルに使うのならどういう話なのか確認しておこうと思ってネットサーフィンをして、ちょっと笑った。
英語の原題は「月は厳しい女教師」だったと書かれていたのだ。
この物語は月に人が住み、地球の植民地となっている未来の話。月の環境は厳しいから、そういう環境が厳しい教師のように、月に生きる人々を導き鍛える、という意味なんだそう。
つい、女教師にエテリコーチを連想した。そしてあえて自分を磨くため厳しい環境を選
だトゥルシンバエワ選手に似合うな、と思ったのである。
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いつもご訪問いただきまして、ありがとうございます。
店主の倉田です。
僕が住んでいる浅草では、桜の満開からそろそろ散る頃合いになり、
墨田川公園の地面は桜の花びらが舞い始めました。
ホント、一瞬です。
毎年、風に舞って散ってゆく桜の花びらを見せられる度に、
「今ここ」
とか、
「只今」
しかないんだなぁ。。。と復習させられます。
けれど、同じ桜の花を見ても違う感慨を受ける方もいらっしゃるようで。
日頃、「天才、天才・・・」と言っている竹内まりやさんなんかは
まだ50歳になったばかりという若さの頃
♪満開の桜や 色づく山の紅葉も
この先いったい何度 見る事になるだろう
歌っています。
「おいおい、まだ50歳だろ!」
このフレーズが綴られた歌は
2007だか2008年頃に発表された
『人生の扉』。
それまでの彼女の作品とはガラッと趣きが異なっていたので、
発表当時の僕にとっては驚きでした。
竹内まりやイメージは、永遠の恋愛ソングの天才、
ってイメージが色濃くて、
その恋愛観が
「傷心」と「悲しみ」や「喪失感」とかのなかから
前向きに立ち直ってゆこうとする健気(けなげ)で、
一種“したたか”な面が見え隠れする
そんな内容の歌詞を
軽快で明るい曲調で仕上げてしまう、
そんな竹内まりやにしかできないマジックが
最大の魅力に感じていました。
そのキラキラ光るような彼女の恋愛観は、
ご結婚されても、子育てしていても、
ずっと健在で、
僕なんかはいつの間にか、竹内まりやの歌は
ずっと恋愛ソングだと思い込んでいたようです。
(内々にそう望んでいたのかも知れませんが・・・)
小学校の高学年の頃に
“妙に素敵な大学生のお姉ちゃん”って感じていて、
その後もすごい名曲を立て続けに発表し、
憧れから尊敬に変わっていったくらいでした。
自分が年を重ねていることへのショックなど大したことに感じませんが、
ラブソングの天才・竹内まりやに
♪気が付けば五十路を 超えた私がいる
なんて歌われたのが、当時はすごくショックに感じました。
ちょっとどころか、かなり淋しく感じた後に
「もしかしたらミュージシャンを引退するのか?」
とか
「癌かなにかを患ってるのか?」
と余計な懸念が頭をよぎりました。
(まったくの老婆心でしたが)
それ以来、桜の満開シーズンになると
『人生の扉』が頭の中でBGMになってしまうことが
増えてしまいました。
このブログのカテゴリ
で竹内まりやの楽曲が一番多くとりあげてしまっているので、
このままだと彼女の全曲を取り上げてしまいそうです。
(ナイナイ!実は『駅』という名曲はあまり好きではないのだ。。。)
これまで紹介した曲。
ママ目線の稀有なクリスマスソング
春の定番な名曲
(majiでkoiする・・・・)
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