空白の通販ランキングは?自分へのご褒美に購入される方も多いようです

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空白がこの先生きのこるには

東大教授 品田悦一氏

この方の万葉集解釈 ものすごく面白いのです。

万葉集は 貴族だけでなく 一般大衆の歌も掲載されているというふうに 思われているけれど

ちがーう!と おっしゃっていまして

とっても 頭脳明晰で 大変攻撃的なところが 大好きな先生であります。

品田教授の 万葉集解釈の講義 一度だけ参加させていただいたことがあり

その時の 印象が強烈です。あったまいいーーー!

なぜ今までの解釈が間違っているのかを 大変明晰に述べていらっしゃいました。

万葉集大御所の大先生への非難を ここまで怖れずにやれるとは! というかんじ。

こういうの大好きなので。うふ。

その 品田教授が 「令和」の本当の解釈を緊急投稿してくださったのがあり

それを 記載します。

万葉集 難しいんですよね。

ちょっとだけ お勉強しましょう。

長いけど 読むと面白いですし 賢くなります。

特に面白いところは 赤字にしました。

********************

新しい年号が『令和」と定まりました。
 典拠の文脈を精読すると、

  権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない

 という、おそらく政府関係者には思いも寄らなかったメッセージが読み解けてきます。

 この点について私見を述べたいと思います。
 なお、この文意は『朝日新聞」の「私の視点」欄に投稿したものですが、
 まだ採否が決定しない時点で本誌編集長国兼秀二氏にもお目におけたところ、
 緊急掲載のご提案をいただいて寄稿するものです。

 「令和」の典拠として安倍総理が挙げていたのは、
 『万葉集』巻五「梅花歌三十二首」の序でありました。
 天平二年(七三〇) 正月十三日、大宰府の長官(大宰帥:そち)だった大伴旅人が
 大がかりな園遊会を主催し、集まった役人たちがそのとき詠んだ短歌を
 まとめるとともに、漢文の序を付したのです。

 その序に「干時初春令月、気淑風和」の句が確かにあります。
 〈 折しも正月の佳い月であり、気候も快く風は穏やかだ 〉というのです。

 これはこれでよいのですが、およそテキストというものは、
 全体の理解と部分の理解とが栂互に依存し合う性質を持ちます。
 一句だけ切り出してもまともな解釈はできないということです。

 この場合のテキストは、最低限、序文の全体と上記三二首の短歌(八一五~八四六)を含むでしょう。
 八四六の直後には「員外思故郷歌両首」があり(八四七・八四八)
 さらに「後追和梅花歌四首」も追加されていまずから(八四九~八五二)、
 序と三八(三二+ニ+四)首の短歌の全体の理解が
 「干時初春令月、気淑風和」の理解と相互に支え合わなくてはなりません。

 さらに、現代の文芸批評でいう「 間テキスト性 intertextuality 」の問題があります。
 しかじかのテキストが他のテキストと相互に参照されて、
 奥行きのある意味を発生させる関係に一注目する概念です。

 当該「 梅花歌 」序は種々の漢詩文を引き込んで成り立っていますが、
 もっとも重要かつ明確な先行テキストとして王羲之の「 蘭亭集序 」の名が早くから挙がっていました。
 この作品は書道の手本として有名ですが、文芸作品としてもたいそう味わい深いもので、
 「梅花歌』序を書いた旅人も知悉していただけでなく、
 読者にも知られていることを期待したと考えられます。

 「 梅花歌 」序の内容は、字面に表現された限りでは
 〈 良い季節になったから親しい者どうし一献傾けながら愉快な時を過ごそうではないか。
  そしてその心境を歌に表現しよう。これこそ風流というものだ〉ということに尽きます。

 「 蘭亭集序 」の詩句や構成を借りてそう述べるのですが、
 この場合、単に個々の語句を借用したのではなく、
 原典の文脈との相互参照が期待されている、というのが間テキスト性の考え方です。

 「 蘭亭集序 」は、前半には会稽郡山陰県なる蘭亭に賢者が集うて
 歓楽を尽くそうとするむねを述べており、
 ここまでは「 梅花歌 」序とよく似ていますが、
 後半には「 梅花歌 」序にない内容を述べます。

 人の感情は時とともに移ろい、歓楽はたちまち過去のものとなってしまう。
 だからこそ面白いともいえる。
 人は老いや死を避けがたく、だからこそその時々の感激は切なく、かついとおしい。
 昔の人が人生の折々の感動を綴った文章を統むと、
 彼らの思いがひしひしと伝わってくる。
 私が今番いているものも後世の人にそういう思いを起こさせるのではないか ……。

 「 梅花歌 」序には、人生の奥、深さへの感慨は述べられていません。
 続く三二首の短歌も、
 〈 春が来たら毎年こんなふうに梅を愛でて歓を尽くしたいものだ 〉(八一五)やら、
 〈 梅の花は今が満開だ。気の合うものどうし髪に飾ろうではないか 〉(八二〇) やらと、
 呑気な歌ばかりが並んでいるのですが、
 そしてそれは、旅人が大宰府の役人たちの教養の程度を考慮して、
 「 蘭亭集序 」を理解したうえで作歌することまでは要求しなかったからでしょうが、
 旅人自身は 「 蘭亭集序 」全体の文脈をふまえて歌群を取りまとめました。
 その証拠に、上記『 員外思故郷歌 」は

  わが盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまたをちめやも(八四七)
  … わたしの身の盛りはとうに過ぎてしまった。
    空飛ぶ仙薬を服用してむ若返ることなどありえない。

  雲に飛ぶ薬食むよは都見ば賎しきあが身またをちぬベし(八四八)
  … 空飛ぶ仙薬を服用するより、都を見ればまた若返るに違いない。

 というのです。
 人は老いを避けがたいという内容を引き込んでみせている。
 しかも、ここには強烈なアイロニーが発せられてもいる。
 旅人にとって平城京はもう都でないのも同然で、
 「 都見ば 」という仮定自体が成り立たなかったからです。

 都はどうなっていたか。
 皇親勢力の重鎮として旅人が傑い信瀕を寄せていた左大臣、長屋主
 ── 平城京内の邸宅跡から大量の木簡が発見されたことでも有名な人物 ──
 が、天平元年つまり梅花宴前年に、
 藤原四子( 武智麻呂・房前・宇合・麻呂 )の画策で濡れ衣を着せられ、
 聖武天皇の皇太子を呪い殺した廉で処刑されるという、
 いともショッキングな事件が持ち上がったのでした。
 この事件は後に寛罪と判明するのですが、当時から陰謀が囁かれていたでしょう。

 旅人もそう強く疑ったに違いありませんが、
 遠い大宰府にあって切歯扼腕するよりほかなすすべがなかった。

 『 万楽集 』の巻五は作歌年月日順に歌が配列されているのですが、
 梅花歌群の少し前、天平元年のところには、
 旅人が藤原房前に「悟桐日本琴(ごとうのやまとごと)」を贈ったときのやりとりが載っています。

 事件は二月、贈答は十月から十一月ですから、明らかに事件を知ってから接触を図ったのです。
 〈 君たちの仕業だろうと察しはついているが、あえてその件には触れないよ 〉
 〈 黙っていてくれるつもりらしいね。贈り物はありがたく頂戴しましょう 〉
 と、きわどい腹の採り合いを試みている
 ─ あるいは、とても太刀打ちできないと見て膝を屈したとの見方もありえるかと思いますが、
 とにかく、巻五には長屋王事件の痕跡、が書き込まれている。

 巻五だけではありません。
 巻三所収の太宰少弐(次席次官〉小野老の作

  あをによし寧楽の都は咲く花のにほふが如く今盛なり (三二八)

 は、何かの用事でしばらく平城京に滞在し、大宰府に帰還したときの歌でしょうが、
 『 続日本紀 』によれば老は天平元年三月、
 つまり長屋王事件の翌月に従五位上に昇叙されていますから、
 たぶんこのときは都にいて、聖武天皇から直接位を授かったのでしょう。
 すると、大宰府に帰った老は事件後の都の動向を旅人らに語ったと考えられる
 ─ そういうことが行聞に読み取れるのです。

 また巻四には、長屋主の娘である賀茂女王と大宰府の官人だった
 大伴三依(みより)との交情が語らえていて、
 三依は事件に憤慨しながら大宰府に向かったようです (五五六)。

 さらに巻六。歌を年月日順に配列する中で天平元年に空白を設け、
 直前に、長屋王の嫡子で事件のさい自経した、膳王(かしわでのおおきみ)の作を
 配しています(九五四)。

 これらはみな、読者に長屋王事件を喚起する仕掛けに相違ありません。
◆偶然の符合にしては出来すぎている。

 「 梅花歌 」序とそれに続く一鮮の短歌に戻りましょう。
 「 都見ば賎しきあが身またをちぬベし 」のアイロニーは、
 長屋王事件を機に全権力を掌握した藤原四子に向けられていると見て間違いないでしょう。
 あいつらは都をさんざん蹂躙したあげく、帰りたくもない場所に変えてしまった。
 王義之にとって私が後世の人であるように、
 今の私にとっても後世の人に当たる人々があるだろう。
 その人々に訴えたい。
 どうか私の無念をこの歌群の行聞から読み取って欲しい。
 長屋王を亡き者にした彼らの所業が私にはどうしても許せない。
 権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。
 だが、もはやどうしょうもない。私は年を取り過ぎてしまった ……。

◆これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。
 テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵愾心が潜められている。

 断わっておきますが、一部の字句を切り出しても全体がついて回ります。
 つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで
 安倍総理たちを痛烈に皮肉っている格好なのです。

 もう一つ断わっておきますが、「 命名者にそんな意図はない 」という言い分は通りません。
 テキストというものはその性質上、
 作成者の意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。

 安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。

 一つは、新年号「 令和 」が〈 権力者の横暴を許さないし、忘れない 〉
 というメッセージを自分たちに突き付けてくること。

 二つめは、この運動は『 万葉集 』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。

 もう一つは、よりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった
 自分たちはいとも迂闊(うかつ)であって、人の上に立つ資格などないということです
 (「迂閲」が読めないと困るのでルビを振りました) 。

 もう一点、総理の談話に、『 万葉集 』には
 「天皇や皇族・貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌 」
 が収められているとの一節がありました。
 この見方はなるほど三十年前までは日本社会の通念でしたが、
 今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家のあいだには一人もおりません。
 高校の国語教科室もこうした記述を避けている。
 かく言う私が二十数年かかって批判してきたからです。
 安倍総理 ─ むしろ側近の人々 ─ は、『万葉集』を語るにはあまりに不勉強だと思います。

 私の書いたものをすべて読めとは言いませんが、左記の文章はたった12ページですから、
 ぜひお目通しいただきたいものです。
 東京大学教養学部主催の「 高校生のための金曜特別講座 」で語った内容ですから、
 高校生なみの学力さえあればたぶん理解できるだろうと思います。

 【記】
 品田悦一「 万葉集はこれまでどう読まれてきたか、これからどう読まれていくだろうか。」
 東京大学教養学部編『知のフィールドガイド分断された時代を生きる』2017.8 白水社

************

どうでしょう。

確実に流れが変わりましたよ。

ここであえての空白

あのたまアリ羽生くんフリーの興奮からはや2週間。帰国後すぐに我が家に子犬を迎え、初めて犬を飼うということでてんやわんや、感想を書く余裕もありませんでした。

でも、実のところ書けなかったのはそれよりも何よりも、現地ですっかり燃え尽きてしまったせいかもしれません。

あれは羽生ファンを灰と化してしまう試合でした。

ショート。サルコウ。

抜けた瞬間に思わずガクっと頭を前の席にぶつけました。ひたすら悔しかったあの瞬間。

そして暑くて暑くて。そこそこ観戦経験はありますが、こんな暑さは初めて。ワールド会場としてあるまじき明らかな異常事態。前日からすでに場内の室温が高かったという声はありました。それが修正されなかったどころか、さらに悪化していたということは、運営チームは何も感じなかったのでしょうか。

フリー当日公式練習。

なんども繰り返す冒頭からループまでの流れ。リンクサイドに居残っての鬼気迫るイメージトレーニング。あんなにもギリギリのところでもがいているゆづは見たことがなかった。怪我でのブランク、積むことのできなかった実戦と練習の空白期間を思い、胸が痛い。ずっと忘れないであろう光景でした。

フリー。本番。

緊張と期待と達観。史上最大の大逆転へ、などとスポーツ紙は煽っていたけれど、正直あの点差では厳しいと思っていました。ごめんね。でも、とにかく怪我なく満足のいく、今季最高のOriginを滑り切れたら。ループを降りて呪縛を解くことができたら。祈りはそこに集中していました。

そもそも怪我の元となったループに恐怖心のかけらも見せずチャレンジを繰り返す。そのメンタルが普通ではない。当たり前のことではない。

そしてループを降りる。と同時に会場は大爆発。サルコウ、耐えられて良かった!その後はたたみかけるような演技。単独4Tの美しさ、後半に決める4T3Aの強さ、3F3Tの見事な音ハメ…。着氷の質に怪我の状態を察しつつも渾身の見事な演技に感激を抑えられません。終了後は見渡す限りの興奮状態。私自身、何度お隣さんとハグをしその場で跳ね回ったことか。声もすっかり枯れ…燃え尽きたのです。

その前の演技の全て、その後の演技の全てとはレベルの違う密度の濃いプログラム。パトリックもハビもいない今、ワールドという最高位の大会で彼の滑りの孤高は際立っていました。悲しいまでに別次元のスケート。

GOATと呼ばれる存在にもう伸びしろはほとんど残されていない。だって行き着くところまで行き着いてなければGOATとは呼ばれないのだから。それでも、ネイサンという稀代の才能と、そのジャンプ実施能力に引きずられたスコアに対抗し、接戦ではなく圧倒的に勝つことを目指すなら、トウ、サルコウといった武器に加えループとルッツを完全に戻すことに行き着くのでしょう。どちらも大怪我の原因となった因縁のクワド、ファンとして心配は計り知れないけれど。

GS、最近はのぞいていないけれど、少し前お邪魔した時は今回のワールドの目玉に「ユヅ・ネイサンの連続神演技」を推す人が多かった。ワールドレコード連続更新なんて巡り合わせ、本当に滅多にあるものじゃない。でも、そんな意味を知らない一般視聴者の感想は、「なぜ羽生くんの勝ちじゃないの?」。ジャッジに評価されない繋ぎ。でもそれは確かに人々の記憶に残る濃厚なプログラムを作り上げていました。一般人の目は節穴ではないです。むしろその逆。御託を並べずダイレクトに本質を突く力がある。私は「再たま落ち」ですが、文字通りの「さいたま落ち」もきっと多大な数に上るはず。

蛇足ですが、表彰式の彼の後ろ姿はすごいインパクトでしたよ。あんな綺麗なラインは見たことないなあ。

人気の空白情報♪ん~、満足~♪

東大教授 品田悦一氏

この方の万葉集解釈 ものすごく面白いのです。

万葉集は 貴族だけでなく 一般大衆の歌も掲載されているというふうに 思われているけれど

ちがーう!と おっしゃっていまして

とっても 頭脳明晰で 大変攻撃的なところが 大好きな先生であります。

品田教授の 万葉集解釈の講義 一度だけ参加させていただいたことがあり

その時の 印象が強烈です。あったまいいーーー!

なぜ今までの解釈が間違っているのかを 大変明晰に述べていらっしゃいました。

万葉集大御所の大先生への非難を ここまで怖れずにやれるとは! というかんじ。

こういうの大好きなので。うふ。

その 品田教授が 「令和」の本当の解釈を緊急投稿してくださったのがあり

それを 記載します。

万葉集 難しいんですよね。

ちょっとだけ お勉強しましょう。

長いけど 読むと面白いですし 賢くなります。

特に面白いところは 赤字にしました。

********************

新しい年号が『令和」と定まりました。
 典拠の文脈を精読すると、

  権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない

 という、おそらく政府関係者には思いも寄らなかったメッセージが読み解けてきます。

 この点について私見を述べたいと思います。
 なお、この文意は『朝日新聞」の「私の視点」欄に投稿したものですが、
 まだ採否が決定しない時点で本誌編集長国兼秀二氏にもお目におけたところ、
 緊急掲載のご提案をいただいて寄稿するものです。

 「令和」の典拠として安倍総理が挙げていたのは、
 『万葉集』巻五「梅花歌三十二首」の序でありました。
 天平二年(七三〇) 正月十三日、大宰府の長官(大宰帥:そち)だった大伴旅人が
 大がかりな園遊会を主催し、集まった役人たちがそのとき詠んだ短歌を
 まとめるとともに、漢文の序を付したのです。

 その序に「干時初春令月、気淑風和」の句が確かにあります。
 〈 折しも正月の佳い月であり、気候も快く風は穏やかだ 〉というのです。

 これはこれでよいのですが、およそテキストというものは、
 全体の理解と部分の理解とが栂互に依存し合う性質を持ちます。
 一句だけ切り出してもまともな解釈はできないということです。

 この場合のテキストは、最低限、序文の全体と上記三二首の短歌(八一五~八四六)を含むでしょう。
 八四六の直後には「員外思故郷歌両首」があり(八四七・八四八)
 さらに「後追和梅花歌四首」も追加されていまずから(八四九~八五二)、
 序と三八(三二+ニ+四)首の短歌の全体の理解が
 「干時初春令月、気淑風和」の理解と相互に支え合わなくてはなりません。

 さらに、現代の文芸批評でいう「 間テキスト性 intertextuality 」の問題があります。
 しかじかのテキストが他のテキストと相互に参照されて、
 奥行きのある意味を発生させる関係に一注目する概念です。

 当該「 梅花歌 」序は種々の漢詩文を引き込んで成り立っていますが、
 もっとも重要かつ明確な先行テキストとして王羲之の「 蘭亭集序 」の名が早くから挙がっていました。
 この作品は書道の手本として有名ですが、文芸作品としてもたいそう味わい深いもので、
 「梅花歌』序を書いた旅人も知悉していただけでなく、
 読者にも知られていることを期待したと考えられます。

 「 梅花歌 」序の内容は、字面に表現された限りでは
 〈 良い季節になったから親しい者どうし一献傾けながら愉快な時を過ごそうではないか。
  そしてその心境を歌に表現しよう。これこそ風流というものだ〉ということに尽きます。

 「 蘭亭集序 」の詩句や構成を借りてそう述べるのですが、
 この場合、単に個々の語句を借用したのではなく、
 原典の文脈との相互参照が期待されている、というのが間テキスト性の考え方です。

 「 蘭亭集序 」は、前半には会稽郡山陰県なる蘭亭に賢者が集うて
 歓楽を尽くそうとするむねを述べており、
 ここまでは「 梅花歌 」序とよく似ていますが、
 後半には「 梅花歌 」序にない内容を述べます。

 人の感情は時とともに移ろい、歓楽はたちまち過去のものとなってしまう。
 だからこそ面白いともいえる。
 人は老いや死を避けがたく、だからこそその時々の感激は切なく、かついとおしい。
 昔の人が人生の折々の感動を綴った文章を統むと、
 彼らの思いがひしひしと伝わってくる。
 私が今番いているものも後世の人にそういう思いを起こさせるのではないか ……。

 「 梅花歌 」序には、人生の奥、深さへの感慨は述べられていません。
 続く三二首の短歌も、
 〈 春が来たら毎年こんなふうに梅を愛でて歓を尽くしたいものだ 〉(八一五)やら、
 〈 梅の花は今が満開だ。気の合うものどうし髪に飾ろうではないか 〉(八二〇) やらと、
 呑気な歌ばかりが並んでいるのですが、
 そしてそれは、旅人が大宰府の役人たちの教養の程度を考慮して、
 「 蘭亭集序 」を理解したうえで作歌することまでは要求しなかったからでしょうが、
 旅人自身は 「 蘭亭集序 」全体の文脈をふまえて歌群を取りまとめました。
 その証拠に、上記『 員外思故郷歌 」は

  わが盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまたをちめやも(八四七)
  … わたしの身の盛りはとうに過ぎてしまった。
    空飛ぶ仙薬を服用してむ若返ることなどありえない。

  雲に飛ぶ薬食むよは都見ば賎しきあが身またをちぬベし(八四八)
  … 空飛ぶ仙薬を服用するより、都を見ればまた若返るに違いない。

 というのです。
 人は老いを避けがたいという内容を引き込んでみせている。
 しかも、ここには強烈なアイロニーが発せられてもいる。
 旅人にとって平城京はもう都でないのも同然で、
 「 都見ば 」という仮定自体が成り立たなかったからです。

 都はどうなっていたか。
 皇親勢力の重鎮として旅人が傑い信瀕を寄せていた左大臣、長屋主
 ── 平城京内の邸宅跡から大量の木簡が発見されたことでも有名な人物 ──
 が、天平元年つまり梅花宴前年に、
 藤原四子( 武智麻呂・房前・宇合・麻呂 )の画策で濡れ衣を着せられ、
 聖武天皇の皇太子を呪い殺した廉で処刑されるという、
 いともショッキングな事件が持ち上がったのでした。
 この事件は後に寛罪と判明するのですが、当時から陰謀が囁かれていたでしょう。

 旅人もそう強く疑ったに違いありませんが、
 遠い大宰府にあって切歯扼腕するよりほかなすすべがなかった。

 『 万楽集 』の巻五は作歌年月日順に歌が配列されているのですが、
 梅花歌群の少し前、天平元年のところには、
 旅人が藤原房前に「悟桐日本琴(ごとうのやまとごと)」を贈ったときのやりとりが載っています。

 事件は二月、贈答は十月から十一月ですから、明らかに事件を知ってから接触を図ったのです。
 〈 君たちの仕業だろうと察しはついているが、あえてその件には触れないよ 〉
 〈 黙っていてくれるつもりらしいね。贈り物はありがたく頂戴しましょう 〉
 と、きわどい腹の採り合いを試みている
 ─ あるいは、とても太刀打ちできないと見て膝を屈したとの見方もありえるかと思いますが、
 とにかく、巻五には長屋王事件の痕跡、が書き込まれている。

 巻五だけではありません。
 巻三所収の太宰少弐(次席次官〉小野老の作

  あをによし寧楽の都は咲く花のにほふが如く今盛なり (三二八)

 は、何かの用事でしばらく平城京に滞在し、大宰府に帰還したときの歌でしょうが、
 『 続日本紀 』によれば老は天平元年三月、
 つまり長屋王事件の翌月に従五位上に昇叙されていますから、
 たぶんこのときは都にいて、聖武天皇から直接位を授かったのでしょう。
 すると、大宰府に帰った老は事件後の都の動向を旅人らに語ったと考えられる
 ─ そういうことが行聞に読み取れるのです。

 また巻四には、長屋主の娘である賀茂女王と大宰府の官人だった
 大伴三依(みより)との交情が語らえていて、
 三依は事件に憤慨しながら大宰府に向かったようです (五五六)。

 さらに巻六。歌を年月日順に配列する中で天平元年に空白を設け、
 直前に、長屋王の嫡子で事件のさい自経した、膳王(かしわでのおおきみ)の作を
 配しています(九五四)。

 これらはみな、読者に長屋王事件を喚起する仕掛けに相違ありません。
◆偶然の符合にしては出来すぎている。

 「 梅花歌 」序とそれに続く一鮮の短歌に戻りましょう。
 「 都見ば賎しきあが身またをちぬベし 」のアイロニーは、
 長屋王事件を機に全権力を掌握した藤原四子に向けられていると見て間違いないでしょう。
 あいつらは都をさんざん蹂躙したあげく、帰りたくもない場所に変えてしまった。
 王義之にとって私が後世の人であるように、
 今の私にとっても後世の人に当たる人々があるだろう。
 その人々に訴えたい。
 どうか私の無念をこの歌群の行聞から読み取って欲しい。
 長屋王を亡き者にした彼らの所業が私にはどうしても許せない。
 権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。
 だが、もはやどうしょうもない。私は年を取り過ぎてしまった ……。

◆これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。
 テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵愾心が潜められている。

 断わっておきますが、一部の字句を切り出しても全体がついて回ります。
 つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで
 安倍総理たちを痛烈に皮肉っている格好なのです。

 もう一つ断わっておきますが、「 命名者にそんな意図はない 」という言い分は通りません。
 テキストというものはその性質上、
 作成者の意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。

 安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。

 一つは、新年号「 令和 」が〈 権力者の横暴を許さないし、忘れない 〉
 というメッセージを自分たちに突き付けてくること。

 二つめは、この運動は『 万葉集 』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。

 もう一つは、よりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった
 自分たちはいとも迂闊(うかつ)であって、人の上に立つ資格などないということです
 (「迂閲」が読めないと困るのでルビを振りました) 。

 もう一点、総理の談話に、『 万葉集 』には
 「天皇や皇族・貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌 」
 が収められているとの一節がありました。
 この見方はなるほど三十年前までは日本社会の通念でしたが、
 今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家のあいだには一人もおりません。
 高校の国語教科室もこうした記述を避けている。
 かく言う私が二十数年かかって批判してきたからです。
 安倍総理 ─ むしろ側近の人々 ─ は、『万葉集』を語るにはあまりに不勉強だと思います。

 私の書いたものをすべて読めとは言いませんが、左記の文章はたった12ページですから、
 ぜひお目通しいただきたいものです。
 東京大学教養学部主催の「 高校生のための金曜特別講座 」で語った内容ですから、
 高校生なみの学力さえあればたぶん理解できるだろうと思います。

 【記】
 品田悦一「 万葉集はこれまでどう読まれてきたか、これからどう読まれていくだろうか。」
 東京大学教養学部編『知のフィールドガイド分断された時代を生きる』2017.8 白水社

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どうでしょう。

確実に流れが変わりましたよ。


空白 関連ツイート

1人区 和歌山・御坊市で議席/地方選前半戦 5県で議席増、大阪2議席維持 https://t.co/l4r4h0rrfX

議席数を大幅に減らした県も少からず💥
(愛知県に至っては、空白になりました)

その辺りの抜本的な総括が要求されます💥

今から16:30まで謎の空白の時間が生まれてるの笑える
デッサン人形? タマちゃんアナザーかな?
そんで4/11開始って2日もガチャ空白期間作って大丈夫なんか、3月の売上危険水準行ってたのに https://t.co/t9djovsHQK
@tatukichi82 確かに書いてありませんね
・ピラミッドが足りなくなった場合
 いずれかのを外して新しく配置!
 前の所は空白となるだけ。
・18点に同時になった時は、
 それぞれのボーナスとして(2つなら2回)プレイ!… https://t.co/IuxRneaKXo

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